嘘の息子覚書控え

本家の控え

2020-08-07

BZから明日の確認メール。新型コロナウイルスの感染拡大が懸念されるので、屋外への外出は控えた方がいい気もするけど、はてさて。

ふの付く某所より。
日の丸弁当奨励は戦争末期になってくると形骸化してたが、その頃には食いもんがなくて明太子一切れでも入ってればそりゃ幸せな気分になったものだったよ
アルミの弁当箱は梅干しの酸で傷んで穴空いちゃうんだよな、それが切なくてな
中学になると勤労学徒動員に駆り出された、ただあれはメシの配給があるのでよかった
配膳係が自分のメシだけちょっと多くよそうのがずるいと思ったな
終戦から1~2年は本当に食べ物には苦労した
農家も戦中の無理な供給が祟って出し渋るし、それでもなんとか生きていけなきゃいけなかった
進駐軍の放出などもあり昭和23年には3合配給が始まってやっと安定した、進駐軍の放出は桃の缶詰が旨かったなあ
朝鮮戦争が始まる頃には町の経済も戻ってきて食生活も幾分豊かになった、肉屋にいけば肉が買えるし魚屋で魚も買える
あの時は本当に良かったなと思ったよ」
90代? どこまで本当かなあ。

ゼロ年代、極端な虚無主義相対主義の時代って偏見がある」