嘘の息子覚書控え

本家の控え

2022-02-28

「高校の時の世界史の先生が「棒きれで物や人を殴ることにはたまらん愉悦がある。このことを認め、かつこの欲求とどう向き合うかの過程が世界史の本質だといって過言ではない」と言っていた。彼の専門はフランス革命史であり、最終的に博士号とって大学の常勤教員になられた。」

「普通の人が自伝を書き出すと、段々自伝に書くのにふさわしい行動を取るようになる。作者が自伝に書かれてる「美化された自分」に自分を合わせるようになる、という話。結構好き。素人の自伝も案外バカにならんね。やっぱり全ての人間はちょっとだけフィクションなんだよ。フィクションを抱えてる存在。」

「もういつ自分が濃厚接触とかで休むかも知れないから、先々の授業を1人でやって録画して溜めてる先生がいるんだけど、「みんながこれを見ていると言うことは、先生はその場にいないという事ですね」とか言っててダイイングメッセージ感がすごい。」

「創作者には2種類いて、創作を通じて何か(承認欲求とか)を満たそうとしている人と、創作そのものが目的の人がいます。
両者の作品に大きな差はないと思いますが、長い目で見ると前者はだんだんおかしくなっていく気がします。
後者はもともとおかしい人たちです。」

「不安にかられた人間は、不安を口に出すことで厄を落とせるとでも思っているかのように、やたらと自分の抱える不安を他人に話すものです」

「本気で宇宙の勉強したいと相談してきた知人に本を紹介したら「こんな厚さの本一冊読むだけ?」と思ったより余裕じゃん感を漂わせていたが、この世には一行読むのに平気で一週間以上かかる残酷な本が存在することをまだ知らないっぽい。」

「倍率3倍なら隣2人やっつければいいっていうじゃん。わたしもそう思って司法試験の会場に行ったのよ。

そしたら開始前の数分で、右の人は家族写真を机に立てかけて祈ってるし、前の人は1分間でバナナ2本食べたし、勝てる気がしないって思ったら左の人が担架で運ばれてった。」

「物語とは「変化を描くもの」だ。誰かの/何かの時間的変化を描いたものが、物語である。

そして、冒頭と結末が対になるようなよく似たシーンだと、読者はその変化をより強く、より明快に感じ取ることができる。物語を読んだぞ!という満足感が高まる。」

「人間が花を好きな理由は花の後に実ができるので
花が好きな人間の生存率が高かったという仮説がロマンがあって好き」

「何らかの事情で留年?した女先輩がいた
二十歳にもなって制服着てるうわキツ感で性癖を破壊された」

「「好みのキャラと二人で、閉ざされた完璧な世界で生きていく」シチュエーションは大抵のオタクの本質的な欲求だと思っていて、それに対してずっとそのままでいたいのか、外に出たいと思うのか、などの部分にその人らしさが表れると思う。」

「(魔法のステージファンシーララ
>何か物悲しい最終回だった記憶
ぴえろ系の魔法少女(当時は魔女っ子)は
最終的に「魔法いらなくね?」になるのが
伝統だからどうしても寂しい終わり方になる」

「「エンターテイメント作品におけるコンピュータ忌避の歴史」って誰かまとめてないか。昭和のスポーツ漫画でだいたい一回はあったと思う、マイコンを駆使した計算に基づいたチームが主人公のド根性の前に「うぐぐ、これはコンピュータの計算を超えた力」とか言って負けるやつ」

「髪切ってくれた美容院のお兄ちゃんが「最近はスポーツ見てた層までアニメを見ている。みんな○滅と呪○を見ている。スポーツは結果だけ見て適当に話を合わせられるけど、アニメは全部見ないといけないらから辛い。鬼○と呪○合わせて50話近くあるマジで辛い」って本当に辛そうに言ってて笑ってしまった」

「それは高度情報社会で生活する者にとっては、最も高価なものは「時間」になったからだと思います。身近に情報も娯楽も溢れるほど存在するのに、時間だけが圧倒的に不足してるからです
だから効率よく叡知や快楽を得ようとする欲求が異様に高まり、そこに至るあらゆる手続きをショートカットしたくなる」

ガッチャマントリトン、グレンダイザーと並んで初期同人のメジャータイトルだったんだぞ」

「初めて小説なるものを書いたけど、プログラミングみたいな難しさがある。「彼女は紙をテーブルに置いた」と地の文に書かないと、紙を置かないし、今居る場所の情景を書かないと、真っ白けなマトリクスみたいなところに主人公がスポーンされてしまう」

「凄い人が言う「手抜き」が全然手抜きに見えないのは、達人故に「どの行程を省略可能か」を把握した上で省略している一種の詠唱破棄の類だからであって。素人が同じことしようとすると普通にただの失敗になる……」

「自分が信じていた何かが音を立てて崩れる瞬間がある。そういうときに「みんな嘘だった」と投げやりにならず、どう立て直していくかを冷静に考えるのも知性の底力だろう。」

以上。