嘘の息子覚書控え

本家の控え

2022-12-31

「>友人に趣味の事話すと一緒に行きたいってなるだろうから
>一番のめり込んでる趣味の事は話してないなあ
>まあそういう相手を友人とは言わないのかもしれんが
分かる
共有したいではなく教えたくないって領域だよね」

「僕もまぁロマンチストです。オタクも基本的にロマンチストです。彼らがロマンチックな物語コンテンツを消費しながらときに冷笑的なのは、そうでなければ死んでしまうからです」

「人生はゲーム音楽に始まりバッハに終わるのだ」

「>バッハに限らないけどあの時代のレチタティーヴォ(伴奏の付いた歌のような導入の朗読)はもっと認められていい
>奥深いし単純にフレーズとしても面白い
俺はチェロで普通に伴奏できるが一般のチェロ奏者はまず出来ないと考えていい
たった一つの音で音楽を開始するプレッシャーに慣れたチェロなんてそれこそコンチェルト弾ける奴でもほぼ居ないと思う」

レチタティーヴォは更に鍵盤との音程を合わせるのがかなりシビア
そもそもその場の個体に左右されるし音律は調律師の選択で毎回全部音程が違うくらいの覚悟というか諦めが必要
もはや絶対音感などあったとしても何の意味もない
同じ曲を違う音律の鍵盤で合わせるとホントに消耗する」

「>古楽器やるととことん相対音感だよね
>気温で音程かわりやすいし時間でも音程変わってくる
>あと古典調律でやるところも多いしで
なまじっか現代の調律の絶対音感があると却って邪魔になりそう」

「>カンタータには使いまわし多いよ
世俗→宗教の編曲再利用は多いが逆はない
宗教音楽にしとけば教会暦が回るごとに同じ曲が使える
バッハはサボろうとしたんだ的な見方もあるけど
ほんとはそうじゃなくて
たぶん(数年おきとはいえ)繰り返し聴いてほしかったんじゃないかと思う
最初は退屈に思えても繰り返し聴くとハマるのがバッハの音楽だから」

「>単純に毎週人員が確保出来なくて編成が変わるから常にフォロー出来る曲を用意したのかもな
>礼拝に曲が提供出来ませんでしたなんて絶対にあってはならんし
人員の問題はあるかも
協奏曲のリトルネロ形式も
トゥッティのところは普段は料理人とかやって音楽も出来るような兼業音楽家が加わって
ソロのところだけ専業音楽家が腕を振るうみたいな
宮廷の楽団の人員の都合に合わせた形式だったって説もある」

「>トゥッティのところは普段は料理人とかやって音楽も出来るような兼業音楽家が加わって
>ソロのところだけ専業音楽家が腕を振るうみたいな
まんまジャズだな
拍手が入らないのが違うくらいか」

「共闘ってのは、人柄とするもんです。思想で人と肩を組むと危ない。」

「よその国のPK戦は楽しいなぁ!!」

「(ネオランガ
人の理の外側にいる神の力を手に入れたけど
使ったら人間の法に縛られるし
そんな力をふるう相手なんてそもそもいないよ?っていう話が前半部分の感じだよね」

「>>「は」「ひ」「ふ」で全部子音の発音違う
>ha , hi , fu じゃないのか
子音に合わせて書くと
は ◯ ◯ へ ほ
ひゃ ひ ひゅ ひぇ ひょ
ふぁ ふぃ ふ ふぇ ふぉ
◯は日本語では表記不可能
日本語のヒはドイツ語のKonigとかのgの音で英語のheのhの音とは違う
フの子音は音声学上はまったく同じ音はウズベク語とか限られた言語にしかないかなりレアな発音」

「昔萩原一至先生に「キャラデザインってのは他人が描いた時に魅力が倍増するのが最高のデザインだと思うんだよなぁ。自分が描いた時点でピークを迎えちゃうのは普通に個人のキャラ絵でしかないじゃん。」みたいな事言われたの凄く印象に残ってる。」

「アイデアは口にするのは簡単
設定を出すのは楽しくて簡単
作品として昇華するのは本当に難しいし時間がかかる……」

「十分に多様性のある社会では、出会う人の過半数と意見があわないし、コンセンサスが取れない。その状況で、どう殺しあわずに平和でくらすか…の能力が問われる。」

「7年前に学園系のお店で出会ったデリヘル嬢と、久しぶりに人妻系のお店で再会した。7年の間に僕は7つ年を取り、彼女は4つだけ年をとっていた。」

「>キャラクターって死んで完成することない?

キャラクターが完成すると後は死ぬしかやることが無くなる
というか死ぬ以外にキャラが揺れることがないというか」

「いつの世も若い人の娯楽は不謹慎とされ、若い人が老人になる頃にはそれらが教養と呼ばれるようになり、同時に若者の新しい娯楽に怒るようになる」

「「絶対に逆転しない格差」があって初めて下々の者に優しくなれる。」

「おじさんになるってのは「会話を自分の守備範囲に持っていく」ことなんだなーって感じる

「新しい技術の話になった時に「それは何ができる様になるの?」ではなく、「僕が子供の頃にテレビが家に、、」って新しい知識を入れようとせずに、既存の知識で話についていこうとしちゃう。」

「人はね、おしまいになってからが、長いんだよ。」

「「オタク」のみならず「(日本)SF」とかもそうなんですが、サブカル系は当事者視点の「個人史」しかないんですよね。」

「エマニュエル夫人の最新作の相手が宇宙人と聞いて吹いた」

「一冬で数トンも薪を燃やすそうだ。チェンソーと斧をもって一人森に入って、そりで曳く。60代の叔母の肩はロッキー山脈みたいに盛り上がっている。」

「一番のごちそうはカリブー、冬でも見かけるので銃で撃って仕留める。時々クマもやってくる、叔母が言うには近くのクマが自分を狙っていて一度頭を齧られたことがあるという、叔母の頭には大きな歯形がついている。「あいつはあたしを食おうと狙っているが、あたしもあいつを食おうと狙ってる」という。」

六法全書の同人誌と聞いて一番最初に思い浮かんだのは「法律にも穴はあるんだよな」という言葉でした」

「要は「自分もがんばっているから、あなたもがんばるべきだ」という、自己中心的な、道連れ的な発想である。これを、逆にして「自分も楽しむからあなたにも楽しんでほしい」とすれば全ての人にとっての幸せベースの発想になるのではないか。」

「あくまでも俺個人の評価だが
この時代のハイエンド作家に多い…面白い!では無く
凄く“面白そう!”な漫画を描く作家という感じ」

「常識に囚われない事と何も知らないのは違いすぎる」

「雑誌とかCMとか記録に残りにくいものにこそ時代の空気が残るとは言うな」

「いわゆる旧来のゲーセン、最新のより良いゲームのために渋々行っていた派と、家とも学校とも職場とも違う空間・人間関係が好きだった派で足が遠のいた理由が違ってきそう。結果的に両者がそれぞれの良さを取り入れたとしても、両方の満足度を満たせない空間になっていったのは、そう。」

「聞く相手の理解力に合わせてアウトプットできることが、『その知識を理解している』ということだ」

「相手の知識に合わせて、言い方を選べる、情報の取捨選択やブラッシュアップが出来る、というのが、その知識を自分の物にしているということだ」

「卑屈の特徴は、自分がまじめに生きようとしないだけでなく、まじめに生きている他人をせせら笑うことだ。」

「こないだ奢りにきた毒親そだち子育てマザーが「わたしにとって、親に愛されることは最もむずかしいことだった」「子を愛せるか、不安だった」「でも、違った」「まず愛されるのは親の方で、親は、ただそれを子に返すだけだった」と言っており、親に貸した愛が踏み倒されて憎悪に化けるんだな~、などと」

「30代になって、「あ、若い頃の苦労で食う」ってコレか!て体験があると同時に、「待てよ。これ、若い頃苦労しなかったら、一生20代と同じ苦役を続けるしかなくなるって…コト!?」という気付きの瞬間があって、それが背筋が凍るほど怖い事なんだよ。」

TRPG、1時間遊んだら10分ストレッチするのをルールにしていいと思ってるよ。」

「私はこの果てのない濃密な世界を愛している、読んでも読みつくせない解題しても解題しきれない探っても探りつくせないこの美しい世界を愛している、数多の賢人がひたぶるに紡いだ無限の言葉の群れを愛している、だから私も世界の片隅にこの文章を紡いで密やかに置いておこうと思う。」

「>トラクタービームがエルフと同じレベルで大衆娯楽に膾炙するようになったら起こして
いすゞ自動車に頑張ってもらおう」

以上。