嘘の息子覚書控え

本家の控え

2019-11-10

今野敏の『任侠浴場』をパラパラと。76頁くらいまで、いつもの滑り出し。

かつて永井荷風が通っていたという、市川にある小料理屋の大黒屋、数年前に閉店していたのか。となると、得体の知れないマメ科の種をもらってきたというのは、閉店寸前の時期だったことだったのか。鞄を持ち歩く永井荷風の目撃談は、ウィキペディアの文章と照合すると、だいたいの見当がつく。
「1957年(78歳)、市川市八幡町四丁目(現八幡三丁目)に転居、これが彼の終の棲家となる。

1959年3月1日、長年通い続けた浅草アリゾナで昼食中、「病魔歩行殆困難」(日乗)となる。その後は自宅に近い食堂大黒屋[14]で食事をとる以外は家に引きこもり、」
「傍らに置かれたボストンバッグには常に持ち歩いた土地の権利証、預金通帳、文化勲章など全財産があった。」
60年くらい前の京成八幡駅周辺の光景はちょっと想像がつかない。

頭痛などの体調不良で夜は頭が働かない。

「『ときメモ』の主人公が一日にひとつのことしかできないのを昔は笑って見ていたが、今はやろうとしたことをちゃんとひとつできればそれでじゅうぶんじゃん、えらい、とおもうのであった。」