嘘の息子覚書控え

本家の控え

2021-09-30

「「報復性夜更かしに陥ってませんか?日中の生活に満足できず夜更かしするのは立派な自傷行為です。」って文章みて震えた」

エルガイム、絶対的な富野作品というわけでも永野護作品というわけでも渡邉作品というわけでもない三すくみめいたところが魅力と思う。」

「13才前後に書いた詩を朗読しないと発動しない魔法」

「音楽が社会的な共通の趣味じゃなくなってからは自分で探さないと永遠に新曲アップデートがされなくなってるからね」

「なんでみんなこんなに中学受験にアツくなってんだろうと思ってたけど、周囲に受験期の子供を持つ人が出てきていろいろ話を聞いてると、受験産業は要するに良くできたパチンコ台みたいなもんで、「もうちょっと入れればなんとかなりそう」と「ここでやめたら大損」みたいな感覚を刺激してんだよな。」

「つまり、「出来ない自分」を超えるには、バネとなる何かが必要
このバネこそが、成功報酬への思考回路だったり、悔しさ・屈辱だったりする訳です
根本的にここが不足していると何を教えても本当に無駄で、憶測のない適当な自信以上が養えない
勉強以前の問題としか思えないんです」

「>アマプラでパートⅢまで見られるけど不二子が可愛いんだよな
>子供の頃は意地悪でウソつきで嫌な女にしか思えなかったのだけど
女を武器にはしてるんだけど
女社会の中で生きてきたくない女の哀しさみたいのは感じる」

「(Play by Mail)
世界でもっとも中二病な趣味だと思ってる」

「>明治時代の本とか全く読めない
アプリの「みを」を使うんだ
くずし字をそこそこの確度で翻訳してくれる
不完全ではあるが取っ掛かりとしては十分役立つ」

「中身は変わらないが立場の都合で問題ない程度に取り繕っとるよ
俺が尊敬してた「大人」も取り繕った結果の虚構だったのかもなぁ」

「>人間の精神なんて30代から成長しねーよなぁ…
年齢じゃなくて立場が変わる事が大事なんだと今更気が付いたよ
自分の面倒だけ見てるうちは何も変わりようがない」

「以上をふまえると、90年代後半においては、エロゲは最先端ではあっても中心ではないことから、エロゲとギャルゲーの位置付けは異なっていたけれど、ゼロ年代前半においてはエロゲとギャルゲーはオタクの中心ではあっても最先端ではないということで、同じ様な位置付けになったと思います。そうなると両者の違いというのは、単に主にプレイする年齢層の違いでしかないでしょう。そうであるならば、同じ位置付けの中で更に細かく上下を言い出すなんて、それ自体野暮なことなのかもしれませんね。」

「この夜はフィクションであり実在の僕らは明日もなかよしである」

「商業では絶対成功しないだろうけど俺だけは好きだぜ!って作品を読めるのはいいよねぇ」

以上。