嘘の息子覚書控え

本家の控え

2022-03-26

某所より。
「>本屋で現代ものの少女小説の棚を見ていたら「1万人を率いる暴走族の総長に溺愛される」みたいな作品が本当にたくさんある
ツイ友の人の「少女小説の暴走族はオタク要素がない子にとっての『吸血鬼の一族』みたいなもの」という分析には膝を打ちました」
稀人というか異世界の住人というか、距離感の範囲の外側、だろうか。時代の差ではないだろう。時代の差といえば、時代劇もいつまで明治維新以前という枠でなく、もうトレンディドラマ以前なら時代劇で構わない気もする。時代考証には専門家を要するだろう。

「例えば、知らない土地で地図も調べずに目的地に行くとする。散々迷うかもしれないし、すんなり着く場合もある。いずれにせよ結果的にはたどり着く。この時の「偶然」すんなりいった結果を自身の能力であると勘違いするケースは大変多い

こういうタイプは得てして「偶然」の成功体験に引っ張られて、地図を見ない、道を聞かない、調べない。これがクリエイター関係の仕事や教育の場でも起きる。結局、「偶然」による成功をいかに減らしていくか?に気が付かないと、自身の能力を計り間違え続けることになる。効率も上がらない。」